静岡大学在学、富山県出身。
小学校時代は運動会の応援団長として活躍するも、中学時代は生徒会選挙に全敗。誰にも相談できず一人で悔しさを抱え込む挫折を経験する。高校時代は周囲が成長していく中で「変わらない自分」に強烈な焦りを抱き、高3時にSNSを断ち切り勉強に没頭。高校時代には悔しがって本気で努力する友人の姿に衝撃を受け、「自分も本気で変わりたい」と覚悟を決める。
静岡大学進学後は、環境問題やランドスケープへの関心を形にするため、環境ボランティアサークル「リアカー」など計4つの組織に参画。現在は「誰もやらないなら自分がやる」という強い責任感で組織のトップに立ち、特定の誰かに負担が偏らない持続可能な組織運営と環境教育の全国展開に挑んでいる。

かつて、小学校の運動会で応援団長として騎馬戦の接戦を制し、全校生徒の中心で無邪気なスポットライトを浴びていた少年がいた。しかし、中学時代の生徒会選挙では全敗。誰にも悔しさを打ち明けられず、一人で挫折を抱え込むという深い影も知っている。
現在の彼は、静岡大学で環境ボランティアサークル「リアカー」や自ら立ち上げた「みどりのわ」など、計4つもの組織で中核を担い、凄まじい熱量で社会課題と向き合っている。「変わらない自分」への強烈な焦りと劣等感を圧倒的な行動力へと昇華させ、誰もやりたがらない重責を自ら引き受けて走り続ける彼の意思決定のドラマに迫る。
彼が今、大学生活のすべてを賭けて成し遂げたいのは、「誰もが自然や環境に関心を持つ社会を創るため、環境教育活動を全国規模へ展開し、その土台となる持続可能な組織体制を自らの手で築き上げること」だ。
周囲の学生が単位取得や気楽なサークル活動でキャンパスライフを楽しむ中、彼はあえて4つもの団体に所属し、深夜にまで及ぶミーティングやNPO法人でのインターンなど、学生の枠を超えたハードな実務と責任の矢面に立つ道を選び取った。

なぜ、彼はそこまで多くの組織に所属し、過酷な重責を引き受けたのか。それは、現状の活動範囲にとどまらず、「自分がトップとして組織の仕組みを整え、メンバー全員が主体的に関われるエコシステムを創り出せば、環境教育という価値をもっと多くの人々へ届けられる」と確信したからだ。
「誰もやらないなら、自分がやる」
単なる所属メンバーとしての居心地の良さに満足するのではなく、自らが先頭に立って未知の経験を積むことで、社会と組織のポテンシャルを最大化させる挑戦へと向かわざるを得なかったのだ。

彼の意思決定の背骨にあるのは、中学時代の「生徒会選挙での全敗」と、高校時代の「同級生からの強烈な刺激」だ。
小学校時代は応援団長として華々しい「全盛期」を過ごした彼だったが、中学の生徒会選挙では何度も落選。その悔しさを誰にも言えず、勉強という得意分野に逃げ込むことでアイデンティティを保っていた。さらに高校時代、周囲が成長していく中で「自分だけが何も変わっていない」という強烈な焦りと劣等感に苛まれた。 その彼を叩き起こしたのが、高校時代に出会った優秀な同級生の姿だった。自分より圧倒的に点数が高いのに、ミスを本気で悔しがるその熱量。
「本気で取り組んでいないから、自分は悔しくすらないのだ」
この自己への強烈な恥じらいと「あいつのようになりたい」という渇望が、彼の心に火をつけ、圧倒的な行動力へと変換された。

“環境に興味がある一人の学生”から、“4つの組織を牽引するリーダー”へと腹を括った転機は、大学で任意団体「サステナヅル」での活動等を通じ、自ら団体の代表や進行役を引き受けたあの瞬間だ。
高校までは「役職を避けているつもり」だったが、心の奥底では常に「本気で変わりたい、自分を試したい」という欲求が燻っていた。
「自分がやらなければ、このプロジェクトは進まない」
そう直面した時、彼は逃げ道を断った。
「能力がないなら、経験で埋めるしかない」
自らの実力不足を認め、それでも期待に応えるために泥臭くリーダーのポジションを取りにいった時、彼の覚悟は揺るぎないものへと昇華された。
彼がこの挑戦のために手放したものは、「失敗を恐れて何もしない安全なポジション」と「特定の誰かに頼り切る無責任な所属意識」だ。
ただのフォロワーとして、誰かが作った組織にタダ乗りすることもできた。しかし彼は、「誰もやらないなら自分がやる」と大人の責任を引き受けた。睡眠時間を削ってまで深夜のミーティングに奔走し、気楽な学生としての時間や体力を重く捨て去ってでも、社会に価値を残す茨の道を選び取ったのだ。
「あるべき姿から逆算し、誰もやらないなら自分がやる」
常に「どうあるべきか」を自問自答し、そこへ向かうために必要な役割が空いているなら、自らリスクを取って手を挙げる。その主体性と責任感こそが、彼の道を切り拓く不変の規範である。

現在、彼が直面している最大の壁は、「環境教育の全国展開というビジョン」と「一部のメンバーに負担が偏る脆弱な組織運営」という現実のジレンマだ。
トップとしての責任感が強いゆえに、自らが業務を抱え込んでしまうこともある。しかし、自分が卒業しても100年続く持続可能な団体にするためには、全員が主体性を持てる体制への移行が不可欠だ。泥臭いミーティングや対話を重ねながら、彼は「自分が引退した後も輝き続ける組織作り」というシビアな壁に最前線で立ち向かっている。
彼が一番に到達したい理想、それは「子どもたちが『外で遊ぶのが楽しい』と目を輝かせ、労働世代が自然に関心を持つ社会を創り出すこと」だ。
そして、自分を育て、信じてくれた両親に「誇れる自分」を見せること。彼が4つの組織で泥臭く流した汗は、未来の子どもたちの笑顔と、彼を支え続けた人々への特大の恩返しへと繋がっている。
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